今回紹介する日本酒は小左衛門です
昔ながらの杜氏制度では10代半ばで蔵人になるのが普通です。ですが、中島醸造の中島小左衛門さんと、中島脩生さん兄弟が「酒造りを任せてほしい」と言ったのは兄である中島小左衛門さんが27歳、弟である中島脩生さんが22歳の時でした。それまで醸造学を学んできたわけでもなく、酒造りにほとんど携わっていなかった二人でしたが、こういい始めたのには理由がありました。
<普通よりも遅い状況で蔵人になった理由のエピソード>
当時の杜氏は(駄洒落ではなりません 笑)麹の出来具合が明らかに不完全であるのに、なかなか改善しようとしなかったり、心がこもった酒造りには見えなかった二人が、このままではまずいと話し合っているうちに、造りを改善したいという情熱をもちます。そして、普通よりも遅いスタートでしたが、蔵元である父親に「酒造りを任せてほしい」とお願いしたのでした。「今から酒造りの勉強を始めるには歳を取りすぎているかもしれないが、決意があるならやってみなさい」(幻の地酒尽くし 唎酒師が選ぶ蔵元の美酒から引用)と許しを得るのでした。
<右も左もわからず失敗の日々>
いかんせん、お酒造りに携わってこなかったわけですから、初めはこの米を使うと、どういう味になるというのもわからず、どんな酒質を目指せば良いのかもわからない状況でした。またお酒造りで手一杯だったため、消費者が望んでいる味の事も考える余裕がなかったのだそうです。そうして造られた1年目のお酒の評価は散々なものでした。
<試行錯誤の連続、そして相手を理解することの大切さがわかるエピソード>
兄の小左衛門さんは基本的には営業が専門で弟の脩生さんが酒造りの責任者ですが、脩生さんが営業を手伝ったり、小左衛門さんが造りを手伝っています。ですが、その前までは適材適所を考えてきっちり分担していたために、お互い何をやっているかわからずケンカばかりでした。そこからお互いの仕事を知るために手伝うことで溝を埋めていき「中島醸造だけのうまい酒を造って売る」ことが共通認識であることに気が付くのです。こうやってできたのが小左衛門だったのです。ただし、売れ行きが最初は悪かったのです。そこで現状を打破するために酒問屋が主催する日本酒の展示会に参加してアピールすることにします。それが功を奏し紹介してもらった酒販店が在庫の9割を売ってくれます。こうした試行錯誤を重ねて中島醸造のお酒は徐々に売れ始めたのでした。
努力を重ねてできたこの食中酒をぜひ味わってみてください。お値段も1639円です。
参考サイト
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