2020年 1月26日 改定
今回紹介するのはウィリアム・グラント&サンズ社が生産しているグレンフィディックです。
<世界で最初のシングルモルト誕生エピソード>
周りからは笑いもの
昔のウイスキーはブレンデッドウイスキーが主流だった時代で、シングルモルトは産地を楽しむ地酒のようなイメージだったそうです。そんなこともあって個性の強烈なシングルモルトが消費者に受け入れられるとは思えないと当時は揶揄されたそうです。
無謀に見える挑戦
4代目のサンディゴードンは、シングルモルトをブレンデッドの最大市場であったニューヨークをターゲットにするです。広告代理店でもこの国ではシングルモルトは流行らないと突き返されます。しかし、彼には成功する戦略があったのです。
良い物は必ず選ばれる
ニューヨークとシカゴを結ぶ鉄道内でグレンフィディックのオンザロックやハイボールを振る舞います。これは当時電車内でハイボールを飲む人が多かったことに目を付けた戦略でした。そしてハリウッド関係者にも振る舞い、映画の小道具として映画で使ってもらったのです。「もうブレンデッドでは満足できなくなる」という広告も打ち出し、シングルモルトを普及させることに成功するのです。
シングルモルトの売り上げ世界一へ
こうして、1963年に世界で最初のシングルモルトウイスキーとして売り出してニューヨークで支持され、2015年にグレンリベットに抜かれるまでは世界一の売り上げを誇るシングル・モルト・ウイスキーとなったのでした。
そんな時代にシングルモルトで売り出すというのはかなりの挑戦だったと思います。こんな挑戦ができたのも自社のウイスキーの品質に自信があったからこそでしょう。こういった挑戦し続けている強さもグレンフィディックの良さを生み出しているのでしょう。
<挑戦を成功させるのは先を見通す力>
ウィリアム・グラント&サンズ社には、こんなエピソードもあります。
アメリカが禁酒法の時代に入り、大恐慌も続きウイスキー業界は大打撃を受け、ウイスキーメーカーは生産量を制限するようになります。しかし、そんな中ウィリアム・グラント&サンズ社はなんと生産量を拡大するのです。実はこれは、禁酒法時代はいつか必ず終わる。その時にはアメリカに進出しよう。そう考えての戦略だったのです。
<特徴的なボトルの形>
グレンフィディックのボトルは特徴的で三角形の形をしています。この三角形のボトルの形状はウイスキー作りに大切な三大要素である火、水、土をそれぞれの面で表した物なんだそうです。
<グレンフィディック蒸留所について>
蒸留所の始まり
このお酒を造っているグレンフィディック蒸留所にはドラマがあります。
そもそもグレンフィディックという名前は「鹿の谷」という意味があるそうです。
「鹿の谷で最高の一杯」を造るという思いを胸に1866年にウイリアム・グラントという人がネス湖の近くに蒸留所の建設を始めたそうです。
実はこの当時ウイリアム・グラントは47歳で普通なら引退を考える年だったのです。
家族の力を借りてなんとか生産に成功
しかし、蒸留設備を購入したところで資金が底をついてしまいました。
それでも、あきらめなかったウイリアム・グラントは家族総出の9人の子どもと1人の石工の助けを借りて石を一つ一つ積み上げてやっと蒸留所が完成したのでした。
そんな苦労もあり、モルトの元酒の一滴がしたたり落ちたのは1887年12月25日のことだったそうです。ウイリアム・グラントが68歳の時でした。
ウイスキーを生産できるようになるまでに21年かかり、また、何年も寝かせてやっと販売できるようになります。
とてもじゃないですが、すごい忍耐力を持っていないとやり続けられないですね。
これも「鹿の谷で最高の一杯」を造るという夢を持ち続けていたからこそできた事なのでしょう。
夢を実現するのに年齢なんて関係ないそんなことを教えてくれるエピソードでした。
挑戦して、頑張り続ければ想いは実現できる。
このグレンフィディックをのんだら挑戦する力が湧いてきそうです。
<参考サイト>
https://www.glenfiddich.com/jp/
http://whiskymag.jp/glenfiddich2019_01/
https://www.bar-times.com/contents/71888/
https://www.bar-times.com/contents/71888/
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