今回紹介するのは鷹来屋です。
浜嶋弘文さんが、濱嶋酒造での酒造りを約20年ぶりに復活させ、誕生したのが屋号から名付けられた鷹来屋でした。実は浜嶋弘文さんは醸造学の大学ではなく商科大学に通っていたのです。これには理由がありました。
<蔵元の息子が商科大学に行った理由のエピソード>
弘文さんの母親が病で倒れてからの濱嶋酒造さんは酒造りを行わず、近隣の蔵に造りを委託していました。つまりできた酒を買い取って濱嶋酒造の銘柄をつけて販売するだけだったのです。だからこそ、弘文さんは大学には造りを学びに行くのではなく、経営を学ぶために商科大学に行き、卒業後の3年間はOA機販売メーカーの営業として働くことにしたのです。
<ただただ、日本酒が好きだった>
淡麗辛口の酒に魅せられていた大学生の頃の弘文さんは主に新潟の蔵を中心に、休みになるたびに酒蔵見学に行きました。ただし、濱嶋酒造さんには新しい杜氏を雇う経済的な余裕もなく、弘文さんには造る知識も経験もなかったので、酒造りを学ぼうという気持ちで酒蔵見学にいったのではなく、ただ日本酒が好きだったから「自分が好きな日本酒はどうやって造られているのだろう」という興味だけで、見学に行ったに過ぎなかったのです。
<気持ちと現実のはざまで>
そんな弘文さんも、日本酒が好きだったからこそ、徐々に徐々に酒造りがしたいという気持ちが芽生え始めます。ただ、気持ちはあっても具体的に何をしたらいいかわからない。知識も経験もない。そんな葛藤に揺られながら濱嶋酒造に戻った弘文さんは経営者としての営業経験を積んだので、今度は醸造学を学びに行きます。4カ月間、勉強したのはさわりの理論だけでしたが、この講習で多摩自慢で知られる石川酒造の蔵元である石川太郎さんと知り合い、酒の好みが同じこと、同い年だったこともあり、仲良くなるのには時間がかからなかった。そんな太郎さんに酒造りをしたいが経験が不足していると悩みを打ち明けると、石川酒造の酒造りに参加してみないかと誘ってくれたのです。これがきっかけで、身に着けた理論と実践が結びついていき、どんどんどんどん酒造りの過程を理解することができたのでした。
ですが、まだ酒造りの決心は持てませんでした。というのも経験はあくまで、まだ一回ということ、石川酒造では手作業の必要性がない過程は機械でまかなっていましたが、濱嶋酒造にはそんな機械がなかったのです。その後も日本醸造協会の通信講座に参加して知識を深めて、それが終わって大分県内の色々な蔵で造りに参加させてもらいます。この経験が弘文さんにある決心をさせることになるのです。
<大切なことは情熱を持ち続けること>
大分県内の酒蔵の造りを体験しに行っていると、中には蔵人は家族だけ、昔ながらの道具で手作りをしている蔵もあったのです。それまで機械がないとだめだと思い込んでいた弘文さんは衝撃を受けると同時に、これなら自分の蔵でもできるとやっと確信が持つことができるようになるのでした。こうして初年度に造られた約20年ぶりに復活を果たしたキレがあり冷やでうまい濱嶋酒造のお酒は大分県内のお酒は甘口で燗向きの酒が多かったこともあり新鮮な味わいと反響を呼ぶことになります。
<濱嶋酒造ならではのお酒は影響を受けた2種類のお酒から着想を得ました>
弘文さんは最初は日本酒に興味を持つきっかけをくれた淡麗辛口の酒質を目指していたのですが、それでは、濱嶋酒造ならではの酒と言えないのではないかと考えます。ただ、きっかけをくれた酒の一部を受け継ぎたい。淡麗辛口は食の邪魔にならないといことから、食と酒の関連性をさらに強めた食中酒を目指したのです。そんな時にまた新たな出会いがあります。福島県で造られている濃醇旨口の「飛露嬉」というお酒です。その味は淡麗旨口のお酒に魅了されていた弘文さんには衝撃的だったのです。そこで、淡麗旨口の良さと濃醇旨口の良さをとれたら面白いと考え、食べながらダラダラ飲んでも飲み飽きない淡麗旨口のお酒を目指し始めるのです。
こちらは食中酒向きの特別純米酒で1480円となっています。
こちらは、山廃の生酒です。お値段も1485円となっています。
参考サイト
http://www.takakiya.co.jp/index.html
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