今回紹介するのはグランツです。
このお酒はグレンフィディック蒸留所を作ったウィリアム・グラントによってブレンドされたウイスキーです。
<勇者の息子が目指したものは?>
ウィリアム・グラントの父はダフタウンの仕立て屋で、ワーテルローの戦いと呼ばれる対ナポレオン戦争にも参加した勇者でした。一人息子として生まれたウィリアムですが、仕立て屋の仕事を継がず、ウイスキーの蒸留業者を目指しました。そして以前にも紹介しましたが、家族総出で苦労してグレンフィディック蒸留所を作り、48歳にして蒸留業者になる夢を叶えたのでした。
<ガンガン行こうぜ!グランツ誕生エピソード>
その5年後に隣接するバルヴェニーハウスを買い取り、第二の蒸留所バルヴェニー蒸留所を完成させます。順風満帆に進んでいましたが、1989年に当時最大のブレンド会社で、最大の相棒であったパティソンズ社が倒れてしまいます。
創業間もないグラント社にとって2つの蒸留所を抱えながら、パティソンズ社に原酒を買い取ってもらえなくなり、まさに痛恨の一撃を食らったのでした。
しかし、ピンチはチャンスでもあり、ウィリアムは自社の原酒を使ってブレンド業に乗り出すことを思いつきます。このウィリアムがブレンドしたウイスキーが、現在は「グランツ・ファミリーリザーブ」で知られる「グランツ・スタンド・ファースト」なのでした。
<みんながんばれ!家族総出で販売事業を成功させたエピソード>
ウィリアムには7人の息子に2人の娘がいました。長男は小学校の校長になり、仕送りし、次男は弁護士として経営に参画、3男、4男、5男は蒸留、糖化、発酵を受け持ち、長女の夫であるチャールズゴードンはセールスマンとなって手助けをします。
チャールズは503件ものバーやレストラン、ホテルを回りますが、注文が取れたのは1件です。しかもたったの1ケースで中々うまくいきませんでした。ですが、粘りと行動で徐々に注文が取れるようになり、1904年にイングランドに進出し、1909年には注文をとるためについに世界一周の冒険へと旅立つのでした。この結果もあり1919年には30か国にエージェントを置くことができるようになります。こうして、アメリカの禁酒法時代や2度による世界大戦という魔物達からの危機に家族の絆で乗り切ったのでした。
また、あまり前例のないグレンフィディック同様の三角形のボトルは、他のブランドとの差別化とブランドイメージの確立から誕生したのでした。
<強き心は時を超えて>
スタンド・ファーストとはグラント家の「頑なに伝統を守る」「地歩を固める」というモットーからきていて、今もなお、受け継がれ続けています。
お値段が安くブレンデッドとしても完成度の高いこのお酒を飲んでみてください!
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